いじめ対応の限界(内田良)

教育

読みだしたら一気に読めてしまう内容であった。いじめに関するアンケート調査からいじめ対応の難しさについてまとめられた内容である。

「いじめ」その定義がすでにあいまいで、主観的なものなので、対応と言っても難しいものがあるのはよくわかる。同じ言葉を投げかけられたとしても、その人の状況で受け止め方は変わる。言葉の持つ意味も人によって違う。状況によって、環境によって、その時々によって、変化する一面をある角度から捉えて、「いじめ」と認定したところで本質は解決しない。

たぶん、多くの人はわかっている。でも、いじめ対応の難しさを文章に書いて発表することは難しい。いじめはよくないということも知っているし、うまくいかずに問題になったことを後から調べて書くことは簡単であるが、実際のその時々の取り扱いは本当に難しい。読んでいて思うことは、やっぱり教師が子どもの一番近くにいるのだから、その対応を最前線で任される立場にある。しかし、子どもたちにとってもその状況は周知の上でコミュニケーションの中に隠れる一面としていじめをするわけだから…。書いていて意味が分からなくなるが、実態としては、対応を任された教師を責めることで終わってしまうこともよくある。それでは状況は何も変わらない。教師の立場はどんどん弱体化していき、あっちの顔色を見て、こっちの反応を考えて…びくびくしながら対応を間違えないようにと、クイズタイムショックのような状態で問題を次々に回答していくかのようである。まさに、いじめの矛先が自分の方に向かないように、傍観者でいる仲間たちのように…。

問題が起こった時、誰かを責めたくなる。嫌なことがあった時に自分に矢印が向く子供は成長していくが、多くの場合は、誰かのせいにして自分の気持ちを安定させる。家族の中でもよくおこることだ。後からなら「もっとこういう対応があったと」誰でもいえる。タイムマシーンはない。誰かが抱え込めば、その人を追い込む。

目の前で、嫌な雰囲気だなぁと思った時に、そこに飛び込んで行って、状況を変えようとすることができる人って、世の中にどれほどいるのだろうか。でも、学校となれば、それを先生はいつも求められている。しかも、継続的に…。どちらにつくでもなく、加害も被害もわからない中で…。

どう書いても、矛盾した気持ちが出てくるし、負け惜しみみたいになっちゃうし、みんないろいろなことに苦しんでいるのに、苦しんでいるからこそ、起こることもあるのに…。わからないことだらけで解決はしないけれど、全ての人によりどころとなるような仲間がいたらと思うばかりである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました