問い続ける教師

哲学

 この頃マイブームな苫野一徳さんの本です。小学校で長年先生をされてきた多賀一郎先生との対談であり、テーマごとのディスカッションでしょうか。教師の哲学×教育の哲学という副題で進められています。

 教育での実践を、教育哲学の世界で振り返ってくれる人がいるとしたらこれは面白いと思います。現場での対応はどっかでいつも迷いながらやっている。でも、それを原理の部分で見つめなおして再鑑定してもらえたら、すーっと気持ちが楽になることがある。でも、ブレまくりで常にその場しのぎの対応をしている人にとっては常にそれを思い知らされるのでつらい経験となるのかもしれない。

 二原論で教師はできないけど、どっかで「良い」「悪い」の二つうち一つを選ばなきゃいけなくなる。それって勇気がいる。その一つの判断が後を引くんだよね。でも、実際生きていたら矛盾することはたくさんある。なのに子どもたちには、聖人君子で濁りなしみたいな対応を迫られる。

 そういうの必要ないんだなぁって、「答え知らないから一緒に考えようよ」って時代が来たんだなぁって思う。だって、明らかに現代のICTは子どものほうがよく知ってる。でも、それを使う時のマナーや誰かが嫌な思いしてるんでは?とかそんなところに気づいて「だめーっ」ていうことは必要だと思う。それこそ、苫野さんの自由の相互承認に係る舵取りができることが大事なんだと思う。一緒に騒いでるんじゃなくて、どっかで客観的な視点を持っていること。

 学校の大きな目標は子どもが自分なりの良い問を持つこと、その問いに向かって進むことができる安心感ある土台をつくることだなぁと改めて感じました。

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