あすなろ三三七拍子 (重松清)

小説

最近さぼり気味の読書の話。
昨日のロングウォークの帰りの電車で読み終わりました。
重松清の「あすなろ三三七拍子」
ドラマ化されていましたね。ドラマをちょこちょこと見ていたので読みきれるか心配でしたが、ドラマはわりと原作とは違う結末だったと思います。ドラマを全部見ていないのでなんともいえないけど。
私は重松清が好きです。いやいや、重松清の小説が好きです。
今回の小説はドロドロネチネチしたところはありません。
そして、実際には起こるのだろうかと思うのですが、読んでるときはしっかりと引き込まれてしまいます。
時に出てくる一文にドキッとされられてしまいます。
この小説の中では人を応援することに関してです。
「応援は自分のためにやるもんと違う。グランドでプレイする運動部の連中のために、わしら、必死になってリーダー振っとるんや。主役は選手。わしらは選手が一番、わしらは二番。負けて悔しい思いをするんも、選手が一番、わしらは二番。そこの順番を勘違いしたらあかんのや。せやから、応援で相手に勝とういうような邪念をもったらあかん、勝ち負けは試合だけや、応援に『勝ち』はないんや」
人を応援しているときに自分が・・・って考えちゃいますよね。
でも、なんかそういうのが違うんだって考えさせられました。
そして、人を応援する人が最後に人から応援されるんだってことが書かれていると言うか・・・。
内容としたら割とふざけた話なんだけど、現実にないからこそ自分がこんな風だったらどうするんだろう。なんて答えるんだろうって考えてしまいます。
決してかっこいい人をイメージさせる内容ではなくて、親父たちはかっこよさよりも、世間体よりも、自分の信念を持ってるんだと言いたいけどやっぱりいい年してるわけだからできないわけです。それができてしまう学生をうらやましく思いながらも役割が違うんだってことが伝わってきます。
そんなほっこり温かい本でした。

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