生殖記(朝井リョウ)

小説

読書記録を書こうとして、「生殖器」じゃない…「生殖記」だと、気づくあたりが自分の集中力のなさを感じます。

さて、新聞に載っている書籍紹介の中に、本屋大賞ノミネートである本の一冊であることと、性器の視点からの物語であることを知って、なんとなく興味を持って図書館で借りた本です。

返却期限ぎりぎりまでに(実際は延滞しているんですけど…すみません)なんとか読み終えることができました。

もう少し、アバンチュールな感じの読み物化と下世話なネタを期待しながら読んでいた自分がいないわけではないのだけれど、最初のあたりで、この物語はどこに行きつくのだろうと読む気力を失いつつありました。

そこで登場したのが「共同体感覚」という共同体に貢献することの意味を考える部分です。これが今回の物語のなんとなくキーワードになるわけですけど、これはアドラーの影響か?と思いながら読み進めていきましたが、参考文献まで見てもどうやらそういうことではないらしい。

では、どんな物語なのかというわけですが、LGBTQの性器的には男性である30代の若者が如何にして共同体から離れて行き、なんとなく最後は戻ろうとしていくという話であったのだけれども、そもそも共同体から離れるとか戻るとかそういう表現であっているのか?と自分で書きながら考えます。何かが一つの定義を持って語られるときに、そこに所属できない人はどうあるべきなのかを考えさせられるわけだけれど…。

じゃあ、私は男性器を持つ男性で、恋愛対象は女性であるけれど、そのことを他の誰かに対して「こういう女性がタイプで、自分はこんなところが男性らしくて…」なんて自己分析を報告することもなく、結局は個人の中では多様性があっていいけれど、社会の中でのルールに当てはめようとしたときの不具合とどう折り合いをつけるのかってことになるように思うのです。

通常の1年間くらいを性器目線で見ると・・という物語にしてしまうのはやっぱり小説のなせる業で、こんなの読む人がいるのかなぁ?と思うわけだけれど、本屋大賞にノミネートされるし、私も読んでいるわけだから、やっぱり小説家ってすごい職業だなぁと思いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました