哀愁的東京

小説

 人生の節目節目に重松清。というか、「ああ自分もこういう感じなんだろうなぁ」と思わされる物語が多い。自分の人生と重ね合わせやすいのはなぜなのだろうか?

 今回は新しい絵本が書けない絵本作家が、フリーライターとしていろいろな人に出会いながら、書けない自分と向き合い目をそらすお話。そしてどの出会いもハッピーエンドにはならない。人生ってそんなに切ない別ればかりですか?と思えるほどに切なくなる。

 こういう感覚が「哀愁」なのかなぁと妙にしんみりと心に染みる。

 絵本作家として賞をもらった一冊の本が、主人公の出会いに意味を与えていく。その物語の意味は明るく幸せでありながら、その背景は重くか悲しい。一つの物語が全く逆に見えるわけだ。

 あの人、楽しそうだけど、客観的にみるとすごく寂しそうだってことはなんとなくわかる。そして自分の中のそういう部分を探してしまう。自分がさみしいとか苦しいと思っていることが、違う見方ができるんじゃないかって…。

 主人公が同世代だからだろうか…。重松の見せ方がうまいのか…。理由はよくわからないが、読み終わった後の哀愁がとても心地よい。

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