どの子も違う 才能を伸ばす子育て潰す子育て(中邑賢龍)

教育
9784121507310 どの子も違う 才能を伸ばす子育て 潰す子育て 中邑賢龍 著 中公新書ラクレ 2021/6/9

 目から鱗とまでは言わないが、そうだよなぁ、そうだなと納得しながら読み進めることができる内容である。子どもたちは、親の世代と育つ環境は大きく違うのに、なぜが学校でも求められることは同じというのはやっぱりおかしい。私自身も子どもの保護者参観に学校へ行けば、あぁ懐かしいなぁと感じる。しかし、古希や喜寿を迎えた人たちが、職場見学に行って、いやぁ自分の現役世代の時と変わらないなぁと感じるような職場があるだろうか。ICTによってガラリと様変わりした職場に驚くことの方が多いと思う。なのに、教育はいつまで経っても変わらない。変わらないことがある事が問題なのではなく、変えられないことが問題なのだ。

 さて、この本を読んでいて、「そうだよな、そうあるべきだよな」と思っている自分がいる一方で、分かっているけど実際に子どもを目の前にすると、子どもにとってダメな壁になっていることも多い。習字の時間に「初日の出」を書けと言われれば書けるのに、新年を想像するような物を創作しなさいと言われれば、途端に困ってしまうのは、私も同じである。どこかで正解を求めてしまう自分が情けない。そんな親では、子どもも同様に親の求めるものや価値観を探してしまうのだろう。さて、どうしたらそんな自分を変えることができるのだろうか。

 不登校の子どもに筆者がおこなっている「異才発掘プロジェクトROCKET」の取り組み内容に、学びや気づきがたくさん含まれていることがすごくわかる。レールが引かれたところを歩かせる学校教育にはない取り組みの中で、自己責任をしっかりと学ばせることの大切さが身に染みる。そして、そういう教育こそ学校と言う場所で行われるべきであると思うのだが、安全が最優先されて危険を伴う経験から遠ざけるだけの、それこそ末恐ろしい教育が行われている日本社会だ。

 多様性を同調圧力を良しとする学校教育の中で学ばせるという矛盾に満ちた環境の中で、教師にとって困った生徒が本人は困ってもないのに排除されていくわけだから、もはや学校という教育機関の持つ意味はほとんどないようにもかんじる。しかし、ROKETに参加した子どもが、その作文の中で、後輩に伝えたいこととして「自分の世界を大切にしながら、周りに目を向けること、人の話を聞いてみることをお勧めしたいのです。それはいうことを聞け、という意味ではなくて、見たり聞いたりしたことの中に役立つことが結構あるということ」という一文から、そういう役に立たないことばかりを教えられる場所でもないという気持ちくらいで、学校へ行けというような曖昧なくらいの目標で学校を捉えて参加するくらいの方が良いと感じてしまう。

 子どもをコントロールせず、一人の人格として、親でありながら自分の一部と捉えずに、子どもの育ちたいように見守り支援できる大人でありたいと思う。これが中々難しいのはよく分かる、こうやって言っておきながら、つい「勉強したの?」と挨拶のように子どもに話しかけてしまう自分が変われる日が来るのだろうか・・・。

 子どもとの関係に悩む人だけではなく、子どもが順調に育っていると感じている親にこそ読んで欲しいと思う一冊であった。

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