死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由(西川幹之佑)

教育

 麹町中学校でいろいろな学校改革をされた工藤勇一先生の講演を聞く機会があった。その際に、教え子の書いた本を紹介されていた。小学校までの教育で、自己肯定感を失い苦しんできた親子が、麹町中学校で救われたというのだ。その彼自身が書いた本から麹町中学校の実践を考えてほしいとのことだった。

 他の仕事やらやることが多く、なかなか読み切るまでに時間がかかってしまった。それにしても、こうやって一つの出会いが子供の人生を変えてしまうのだから教育とは怖いものだ。多くの生徒がいる中で、先生の都合で物事を進めようと思えば、それに同じようなペースで参加できない生徒が悪者となってしまう。そういう大人都合の教育がいかに多いかということだ。確かに、「和を以て貴しとなす」ということが求められる日本の教育の中で、発達障がい児の生徒の存在は教えるほうにも、教わるほうにも、お互いにとってつらいものとなる。できないことに注目されできることまでもやらせてもらえないなんてことはよくあることだ。そういう教育を受けてきた子供が、中学校に入学し、一人の校長先生との関りから、自分自身としっかりと向き合い、誰かのせいではなく自分自身がどう変わるかを考えたわけだから、深みのある実践集である。

 生徒一人ひとりが当事者意識をもって、手段にこだわるのではなく、目的を重視して取り組むことで、自律した一人の人間を育てることの大切さがとても共感できる本だった。逆の言い方をすれば目的を忘れ手段にこだわる教育がいかに多いかを考えさせられる。教育におけるICTの利用に関しても、全員が同じように使う必要はなく、ツールとして苦手な部分を補うために使えばいいのに、日本の学校や受験はそれを許さない。目が悪い子に眼鏡の利用を許さないということと、問題は同じだと思うのだが…。目的はよりよい人生を生きるためにいかに学ぶかということなはずなのに…学び方を限定されてしまうのだ。そういうことで苦しむ子供がとても多い。

 この本を読んでいて、子供が自分の目標を持ち人生の見通しを持てるようになれば、苦しみながらも誰かのせいにするのではなく自分と向き合い、多くの経験が蓄積されて成長していくという過程がよくわかる。ところがこの最初の自分の目標を持つということがすでにできない子どもたちがたくさんいる。親や大人の「いい学校へ行って」という価値観の中で、苦しみながらレールを走らされている子供は発達障がい児ばかりではなく定型発達の子に多いというよりも、むしろそこになじめずについていくのが難しい発達障がい児よりも定型発達の子供たちのほうが多いように思う。器用にできてしまうがゆえに、違和感を感じながらも大人の価値観を素直に受け入れながら学校という場所に溶け込んで、大学まで行ったものの、身の回りのことは親に依存する若者は多い。

 誰かと比較するのではなく、自分が人生の当事者となる教育がもっと広がればいいと思う一方で、その難しさを痛切に感じる。新しい実践者の取り組みがこうやって世に出ることで、少しずつ少しずつ変化していくしかないのだとも思う。自分をよく知ることが自分の人生に責任を持てるに繋がっていくのだと思う。工藤先生はどうやってこういう実践をやりきることができたのか、その力強さというか粘り強さに学ぶところは多いと思った。

 苦しんだ経験が、次につながるのだろうけど、そこに一つの道筋を見つけられて、自分のできないことよりもできることに目を向けられるようになった、その価値観の逆転が一つの出会いがきっかけであるにせよ、本人の苦しみは相当なものであったのだろうと考えると、苦しみを与えるのではなく、希望を与えるために先生たちはもう一度、目の前の子供のための教育をしているのかを立ち止まって考える必要があると思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました