金持ち父さん貧乏父さん(ロバート・キヨサト)

How to

 以前にも読んだことがあると思いながら・・・読み進めてきた。そして、その時にも同じことを感じたんだろうなぁと。結局、自分はその刺激をどのように消化したのだろうか。お金のために働くのか、自分のためにお金を働かせるのか。

 このブログを振り返って見ると、どうやら全く同じ本を読んだわけではない。しかし、書かれている内容の多くは共通している。そして、その時に感じたことも変わっていない。私が臆病だということは変わらないのだ。まずは自分にお金を使う・・・それはわかる。私も給料日にはまず投資への出資をするようになった。ところが請求書額が大きい月は、これまで投資してきたところを切り崩して支払に充てる。結局はお金がお金を生むどころか、自転車操業のような状態なのだ。

 サラリーマンを長く続けると、ここに出てくる貧乏父さんの気持ちがよくわかる。でも、自分の父親も長くサラリーマンを続け、それなりの給料を貰い、裕福とまでは言えないかもしれないが、何不自由のない暮らしをしていた。年金がもらえるようになって、それでも趣味を続けるためには年金では足らず、70歳を超えてもパートタイムで働きながら趣味にお金を費やす。そんな父を貧乏父さんと呼ぶのは非常に忍びない。そして、父ほどに資産を持たない私はその姿を見ながら、このままではいけないと思うのだ。

この本の中には、行動することの大切さが何度も書かれている。そして、学び続ける大切さだ。その二つは、学校でも何度も教えられてきたことである。しかし、お金が絡めば、やはり恐れが出る。これまでに私がしたもっとも大きな買い物は、保険なのかもしれない。それくらいお金への不安があるということだ。どこかでこの思考を変えたいと思いながらも・・・。

さて、子どもたちには、私のようにはなって欲しくないと思いながらも、金融教育をさせていない。サラリーマンになることを良しとする学歴重視な教育をしているように思う。それでありながら、これからはサラリーマンなんかになるもんじゃないと、自分ができなかったことを求める矛盾と、進学を求める二重の矛盾を感じさせてしまっているようにも思う。

 そんな私が、どこかで金持ち父さんになれることはあるのだろうか・・・。そう思っているうちはなれそうにはない…。どこかで子どもに金融教育を学ばせたいと思うのが精一杯のお年頃なのだ。 

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