読書メモ 「オシムの言葉」

なまちゃんの読書メモ

 2022年5月1日に元サッカー日本代表監督であるイビチャ・オシム氏が80歳で亡くなったという報道があった。オシムといえば「オシムの言葉」という本を読んだことを思い出す。読書ノートを引っ張り出して、「オシムの言葉」で私がメモした文章を読み直すことにした。2008年に出版された本である。私が読みながら切り取った文章から、書いてある内容や教えを自分なりに振り返る。一部分しかない文章から考えるので、今の自分を通しての解釈となる。だから、メモを見返すときの自分がすごく影響するのだ。

私の読書メモ

p26 レーニンは「勉強して勉強して勉強しろ」と言った。私は選手に「走って走って走れ」と言っている。

p27 「我々に失うものはない。得るもののほうが多いはずだ。ただ、君たちにとって得るものが大きすぎるのも考えものだな(笑)。サッカーの試合とは絶対に一人では成立しない。きみたちの人生も同じじゃないか」
 「残念なことに7,8月は休みを与える(笑)、ただ忘れないで欲しいのは休みから学ぶものはないという点だ」

p121 システムは関係ない。そもそもシステムというのは弱いチームが強いチームに勝つために作られる…例えば国家のシステム、ルール、制度にしても同じだ。これをしちゃダメだ。あれしちゃだめだと人をがんじがらめに縛るだけだろう。システムはもっとできる選手から自由を奪う。システムが選手を作るんじゃなくて、選手がシステムを作っていくべきだと考えている。チームでこのシステムをしたいと考えて当てはめる。でも、できる選手がいない。じゃぁ、外から買ってくるというのは本末転倒だ。チームが一番効率よく力が発揮できるシステムを選手が探していくべきだ。

p156 父は哲学が根底にあって、どこでも結果よりもビジョンを重視してチームを作るんだ

p165 行く国、行く国、貧しい国。行く先、行く先、苦しい場所。ツテもなくて2部とか3部ばかりでスタジアムも小さくて環境も悪いわけですよ。住むところも食べるものも貧しいわけです。で、サッカーを辞めようかと何回も思った。でもそこのチームメイトと同じものを食べて同じ生活をするうちに見えてくる。俺がこんなに苦しいってことは、そこの国の人、みんな苦しいわけです。彼らに愛着がわいてきたんです。どんな環境であろうが、そこに人が住んで生活を営んでいる。1部でも3部でもやることは結局同じサッカー。人生なんてみんな価値観それぞれ違うわけじゃないですか。サッカーなんてどうでもいい、サッカーなんて嫌いな人だって世の中にはいるわけです。でも自分はサッカーを好きでとことん追求することができた。代表になれたわけではない。サッカーで大金を稼いだわけでもない。それでもね、確かに自分は貫いたという自負はあります。

p206 大事なのは言葉ではなく自分でその意味を感じているか。前も話したが、時として何も言わない方が100万語を費やすよりも伝わる場合がある。

p208 ミスをした選手を使わないと、彼らは怖がってリスクを冒さなくなってしまう。

p208 監督が身体の小さい僕に対して「小さければこういうプレーができる」とか「小さくても、こういうサッカースタイルでやればいけるんだ」と言って使ってくれる。多少なりとも評価してくれるというのは、これから何年か現役をやっていくのに「僕はこういうスタイルでいいんだ」という確信ができました。監督のおかげで迷うことはなくこれを続ければいいんだ、という気持ちになれたんです。

p210 「無数にあるシステムそれ自体を語ることに、いったいどんな意味があるというのか。大切なことは、まずどういう選手がいるかを把握すること。個性を活かすシステムでなければ意味がない。システムが人間の上に君臨することは許されないのだ」
「日本人は本当に戦術やシステムを語ることが好きだ。しかし、サッカーには相手がある。4-4-2でも3-5-2も相手を考えずにイメージするだけでは空想上の器械体操だ」

p230 (問題は)メンタル面だった。彼に責任を持たせ菜といけないと考えた。

p234 名将は同時に、哲学者であり、経営者であり、教育者であった。

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