人魚の眠る家

小説

 映画化され主演女優がテレビで宣伝している東野圭吾の話題作である。東野圭吾の小説はいつも1日で読みきってしまうくらい没頭する。それは早く答えを知りたい推理小説のようなものが多いからかもしれない。

 今回のはちょっと趣が違う。いろいろなジャンルで小説を書けるところは、本当にすごい。本当に全部自分で書いているの?と疑いたくなるほどだ。人魚の眠る家。最初の展開は忘れた頃に意味をもつ。そういう仕掛けがあるのが東野作品の面白いところなんだと思う。

 水難事故で脳死状態であるが、脳死は検査しなければわからない。人の死は、なにをもって決められるのか?人によって死の意味は変わるものなんだと思う。今回は特に生物としての、死をクローズアップしている。

 医師が死亡確認をした時であるならば、心臓が動いていようが、脳死もその定義に倣っている。死亡日時の確定もドラマでは、よく見るワンシーンだ。臓器移植に関しては自分の死後に臓器が使えるなら、どうぞ皆さんに…と、自分に対しては思う。

 ただ、自分の子どもや、親対してはに同じ判断ができるのか…。決めづらいことこそ故人の意思や、家族の思いではなく、ルールとして決めといて頂けると確かに、何かの”せい”にできるので楽なのかもしれない。

 読み進めるなかで、話として平坦になってきて、これは突拍子もない非現実的な終わりかたをするのかなぁ?と、読むのに疲れつつあった終盤。そこでちゃんと期待を裏切らない「そう来たかぁ」と一気に最後まで読みきらせるところが、またすごいって思ってしまった。

 さらに、エピローグは、どこに関係する話が始まったんだ?というサプライズつきで、これまた、心穏やかに読み終えることができた。やりますなぁ。東野圭吾。

 平行して、いくつかの本を読みながらだったので、ちょっと時間がかかったが、手に取るときに一番ワクワクする本でした。

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