禁断の魔術 (東野圭吾)

小説

僕が読書にはまると言う経験をしたのは東野圭吾のおかげである。
しかし、それも昔のこと。
今ではわりといろいろな人の小説を読むようになった。
だから、買ってはみたもののなかなか手を出すことがなくてしばらくは机の上に置いてあった。
自分の中にミステリーとある程度ストーリーがわかっているガリレオシリーズ。
他の小説も読み終わり、いよいよ順番が・・・。
前置きを書いたが、手に取ると早い。
やっぱり東野圭吾だ。
寝られなくなった。笑
科学技術がどう使われるかによってそれは人助けにもなれば人を傷つけることもできる。
東野らしいいくつかの場面展開の中で一つの事件を追っていく。
そこが犯人かというのはこの小説ではあまり意味を持たない。
この子を犯人にしないということのほうが大切な話。
人を多面的に見ると、悪い奴と思っていたひとがそうでないという同情も浮かぶ。現実もそういうものなのかもしれない。他の人の話を聞いているうちは批判できても実際にその人に会うと厳しくできないのもこのせいか・・・。結局はどっちから見るかと言うことである。
湯川は優秀である。そしてその教え子ももちろん優秀である。
なんとなくうらやましく感じながら読んでしまう。自分の学歴コンプレックスだろう。
一人の女性の死から始まったがもう一人の女性の恋が重要な役割を持たなかったのはなんとなく寂しい。そこで父親かぁと思ってしまった。姉の死に対する復讐を考えた弟ではあったが姉は覚悟の上だったのかもしれないと後で聞いたら納得できるのか、ここも見方の問題である。
一つのことを正しく見るとは難しいと感じさせる。同じ技術で人を助けるのか傷つけるのか・・・。これも一つの技術をどう使うかの問題である。
ちょっと自分の評価を見直してみなきゃ大変なことになるのかもと思わせた。
そして湯川はやっぱり福山雅治のしゃべり方になってしまう。ドラマの影響は大きい。一つのキャラクターを演じる福山がうまかったのかもしれない。
やっぱり東野だなぁっと思わせる作品だった。科学技術と人間模様のミステリーである。
また、買ってみるかと思わせていただきました。

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