正欲 (朝井リョウ)

小説

正義と正義がぶつかると戦争になる。共通する正義なんてない。正しさは所属する社会によって違う。そんなことを聞いたことがある。

正しい欲求と性的な欲求が絡み合った物語。読み始めた時は全く意味がわからない内容だった。最後まできて、最初のページに戻ると、言わんとすることがわかる。読み終えて最初を読み直すような、こういう物語はよくあるけれど、今回はちょっと違う。自分の中にある性的な欲求は正しいものなのか??それを考えながら振り返る。そもそもその部分は誰からも覗かれないことを前提として男女が?ここでは二人の人が?いや、自分が?なんと言ってよいかすらわからなくなっているが、一人であれ複数であれ、覗かれない中で行われる行為である。

だから自分が正しいかなんてわからないし、わからないことを相手に確認しながらお互いを認め合って満たされるものなのだと思う。

こうやって書き出すと性欲の話になってしまう。この物語ではもっと極端なものに性欲を感じる人たちに焦点を合わせている。それが「水」なのだ。でも、全く同じではない。全く同じでない中でも重なる部分がある。重なってる部分は社会の中で問題にならないものであっても、たまたまそこにいた一人が重ならなかった部分で社会から断罪される。しかし、そこに言い訳は成り立たない…誰にも理解されないと思っているから。「水」かぁ…全く意味がわからないとはならない。違うけどわからんでもないと、影響されやすい自分は思えてくる。だから、読むペースはどんどん遅くなる。僕の中にある正しいがわからなくなる…というか、考え出すと、考えたくなくなる。

解説を書いた東畑開人が、正欲について書くことに後悔したと、話をスタートする気持ちがよくわかる。この問題を語るのはとても難しい。物語の中でも結局は、共有することや、異質な部分を他社に伝えることをあきらめている。

伝わらなかった正欲は、事件だけを聞いてどう伝わるのだろうか。つながることを求める人がいれば、つながることに嫌悪感を覚える人もいる。やっぱり人それぞれなんだ。性欲だから問題が大きくて、性欲ではない正欲ならば、話して共有して認め合えるかもしれない。でも、正欲の対象が性欲だからこの問題を大きくする。リンゴが好きだとか、梨が好きというわけにはいかない。

深い物語だなぁ。読んだ感想を話す相手も選んでしまう。覗いてはいけないところを覗いてしまったという思いと、自分で自分の正欲を覗こうとしてしまった自分への複雑な気持ち。共有できる相手がいることがつながることであればそういうパートナーを見つけた人は「生きる意味」を見つけたことになるという物語の流れはすごくすっきりするものでもあった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました