鎌倉うずまき案内所(青山美智子)

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 令和5年の最後に手に取った小説がこの「鎌倉うずまき案内所」である。そして、いつの間にか年は変わり、令和6年の最初に読み終えたのもこの小説となってしまった。この小説を手に取って、読んでいる間にいろいろあったのは間違いない。

たくさんの短編小説が一つの長編につながるというは、私の好きな小説の一つのパターンだけれども、最初にそう言っといてよ~と言いたくなるのは、私の記憶力のなさというのか、時間をかけて読んだからなのか、相変わらず文字ずらだけを読んでいるのかは定かではない。

さて、ようやく今回の小説についてとなるわけだが、以前にも青山美智子さんの小説はいくつか読んだことがある。どれも、ほっこりできる小説である。今回のは、神様当番に似たようなストーリーだったかなぁ。短編小説だと思っていったら、そういえば小説家が一人どの話にも出てくるなぁなんてくらいで気になり始めたら、なんのことはない時代をさかのぼりながらしっかり一つのストーリーになっている。もっと早く気が付けばよかったと思うのはやっぱり私の読み方が浅いのであろう。

読み終えて、丁寧に年表まで出てきて、それでも思い出せないところは軽く戻って読んでみて…ようやく一つの物語になりました。年末年始が繋がったようなものです。そして、なんとこの小説もそういうつながりを大切にしています。うずまきの持つ「( ,,`・ω・´)ンンン?グルグル」みたいな部分と、そういうグルグルの悩みがちょっとした不思議なきっかけでエネルギーとなって先に進んでいく。渦巻いてエネルギーためていると思うと悩み事も悪いことではないのかもしれない。そしてパラレルワールドのように、悩んで決めたことには、選ばなかった道もある。でも、そんな道を悔やんでも仕方ない。年代がさかのぼっていくことで、ゴールからスタートに戻っていけば、もう一つの道はそこにはないのだ。

一つ一つの物語の中に、教訓めいた言葉がいくつか出てきている。読み終えて一つ上げるとすれば、私にとっては、子育てに悩んだ女性がたどり着いた言葉「私たちが、決めることを許されたものがあるとしたらたったひとつ、名前ぐらいだ。」だった。子どものことをあれこれ親が決めようとしても、子どもは思うように育たない。でも、子どもの選んだ道を否定するだけの時代の先を見る力が親にあるのだろうか。

小説の中に何度も出てくる黒祖ロイドという小説家が「読んでくれる誰かのために書いている」というようなことを言っていたが、まさにこの短編の一つ一つがそれぞれ求めている人へ書かれているように感じる。いま、この言葉が刺さるなぁ、この言葉に救われるなぁという言葉が不思議と自然にしみこむように出てきて、そして、自分の一部になってまた次の物語になっていく。小説書くのがうまいなぁと思いながら読み進められた。

悩む人が、鎌倉あたりでいつの間にか迷い込むうずまき案内所には、かなり個性の強い案内人のじいさん二人とアンモナイト所長が登場してお告げらしきことを伝えてくれる。本当に起こったことなのか?と、思いながらうずまき飴は手元にある。そんな流れは、水戸黄門の印籠のように同じであるけれど、まさにパラレルワールドを行ったり来たりみたいで…読めば読むほど深読みできそうだ。こうやって読書記録を書くことで、うずまきがすっきりしてきたので、図書館に返そうと思う。長くかかったので返却遅延でごめんなさい。

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