旧友再会(重松清)

小説

重松清の短編集とはいっても、「あの年の秋」「旧友再会」「ホームにて」「どしゃぶり」「ある帰郷」の5話が収録されていて、そのほとんどは「どしゃぶり」であった。テーマは仕事をリタイヤしようとしていたり、故郷への帰郷であったり、実家仕舞いや別れといった冬に読むには何ともさみしいものが多かった。でも、とってもじーーんと来るのは、自分にもこういう時期が近いのかなぁという思いがどこかにあるからかもしれない。

あとがきを読めば、母がなくなり、重松自身が子どもが巣立ち、父という役割も子どもという役割も変化していく中で、自分自身が早稲田大学で教鞭をとり、若者に触れ合う中で書かれた作品だということで、そのギャップというか、自分も心の中では「まだまだ学生には負けない(負けないという表現がすでに情けないけど…)」と思いながら、しかし自分の身の回りの課題は年齢に重なるものが多いという中で書いたもののようだ。

人生の中で何度かの転換期というものがある。子どもが親になる、親がおじいちゃんになる、というようなものもあれば、学生が社会人になる、社会人から次のステップへとの変化もあるだろう。それぞれの変化の中で自分の置かれた立場と旧友との違いに翻弄されたり、それぞれの考える正解を答え合わせしたり、過去に戻って考えたり・・・。あぁわかるなぁという思いが伝わってくるから自分もそういう世代になったんだろうなぁと思う。いや、重松作品の登場人物の心の声で「まだまだ分かってないなぁ、本当はそうじゃないんだ」という言葉も聞こえてきそうではあるが、私自身が今感じることができる気持ちはそんな感じなんだ。

前回の重松作品が大学のゼミ集を中心としたものだったので、ある意味、重松小説を読むのは久しぶりなんだけれど、「そうそう、その心のつぶやきがほしかった」と思うわけだ。人生の中で言わずにかみしめる言葉が多くなってきたのかもしれない。ふと、しゃべりすぎている自分がいると「何をむきになっているんだと、窘めたくもなる」今日この頃である。

私にとって次のステージとはどんなだろう。待ってても来るけど、待ってるのではなく、自らが選んで進んでいきたいなぁと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました